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水島あやめの生涯-日本初の女流脚本家・少女小説作家ー

3,080円(本体2,800円、税280円)

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シリーズ:銀鈴叢書
発行日:2019年10月1日
著者:因幡 純雄
出版社:銀の鈴社
判型:四六
ページ数:264
ISBN:978-4-86618-081-6 C0095

◆もくじ◆
一、水島あやめ、最期の日
・手紙「お骨をとりに来たお人におわたしください」
・水島あやめの業績とみっつの夢

二、雪深い山里に生まれそだって
・父と母、そして異母兄
・いじめられつづけた小学校の六年間
・本と物語のなかに広がる世界
・「立派な小説家」になりたい

三、高等女学校での四年間の寄宿舎生活
・生涯の友との出会い
・新井石禅和尚からの手紙
・東京女子高等師範学校ではなく日本女子大学へ

四、日本女子大学四年で脚本家デビュー
・新井石禅和尚から贈られた女性訓
・生家との決別、母をひきとる
・人生の悩み
・歴史小説「形見の繪姿」、懸賞に当選す
・転機となった関東大震災
・小笠原映画研究所でシナリオを学びはじめる
・日本初の女流シナリオライター・水島あやめの生涯
・シナリオライターの道と進路の葛藤
・映画「水兵の母」、国民的話題になる
・取材攻勢に息をひそめて

五、あこがれの女流脚本家・水島あやめの青春〜東洋のハリウッド・松竹蒲田撮影所から全国のファンへ〜
・城戸四郎と松竹蒲田につどう若き映画人たち
・松竹蒲田の脚本家デビュー作「お坊ちゃん」と正式採用
・はじめての原作脚本映画「母よ恋し」と城戸四郎のプロデュース
・脚本家としての日々
・女性蔑視の男社会と城戸四郎の庇護
・蒲田映画の黄金期と水島あやめの絶頂期
・母校に錦を飾る
・ただひとりの女流シナリオライターとエッセイ「仕事の苦しみ」
・祖父への手紙と経済的な自立(ひとつめの夢の実現)
・トーキー化の動きと脚本家の苦悩
・興行中心主義と「よき児童映画」とのギャップ
・大船移転と松竹蒲田退社

六、少女小説作家・水島あやめの想い〜子どもたちに夢と希望、あこがれと思いやりを〜
・小説家として再出発
・「少女倶楽部」が作品発表の舞台に
・付録本になった六つの物語
・「講談社の絵本」の採用作品とシリーズ「名婦物語」
・殺到する執筆依頼(ふたつめの夢の実現)
・三年半の結婚生活
・はじめての単行本「小公女」と「家なき娘」
・「輝ク部隊」と文学界のうごき
・少女小説集「友情の小径」と「櫻咲く日」
・戦時中の作品と水島の執筆活動
・東京大空襲と疎開
・玉音放送と水島のつぶやき

七、戦後出版ブームと水島あやめ〜雪国の里から全国の少女たちへの贈り物〜
・「魚沼新報」の復刊と執筆協力
・新憲法と水島あやめの女性観
・出版ブームと発刊された水島作品
・海外名作と少女小説で描いたこと
・六日町時代の暮らしぶりと生活信条
・湘南海岸への引っ越しと母の死(みっつめの夢の実現)

八、旅の支度
・回想録「金城山のふもとで」とおだやかな日々
・有料老人ホーム入居と地元紙への寄稿
・「旅の支度」と書かれた行李

逸話
・当選脚本「久遠の華」のミステリー
・「サンデー毎日」「女人芸術」に新人女流作家と紹介される
・現存する水島映画「明け行く空」のエピソード

年譜
作品一覧
初出、および主な参考文献
あとがき


水島あやめ
明治36(1903)年7月17日新潟県の裕福な家に生まれ、大正10年上京。
日本女子大学在学中に本格的に小説を書き始め、映画会社の小笠原プロダクションで脚本を学ぶ。
大正13年に書いた脚本「落葉の唄」が映画化され、わが国初の女流映画脚本家としてデビュー。
15年松竹キネマ蒲田撮影所に入社、30本近くの脚本を書いたが、のち児童文学に転向。
昭和14年「小公女」を翻訳、15年少女小説集「友情の小径」を発表、その叙情性と感傷性で少女たちに人気を博した。
他の作品に「母への花束」「乙女椿」などがある。


著者:因幡 純雄(いなば すみお)
1955年、新潟県生まれ。
1992年、会社勤務のかたわら、水島あやめの調査研究を始める。
2003年、水島あやめ生誕百周年記念事業実行委員会を結成し、講演会・映画上映会・パネル展を実施。水島の生涯と業績を記念誌「ちとせ輝く」にまとめる(企画・編集・文責)。
2006年、月刊「シナリオ」((社)日本シナリオ作家協会)に「日本初の女性脚本家 水島あやめ伝」を連載(同年9月号〜翌年12月号・16回)。
2007年、週刊「魚沼新報」(魚沼新報社)に「少女小説作家・水島あやめ」を連載(同年12月〜翌年8月・33回)
2016年、BSN新潟放送「にいがた偉人伝」で、水島あやめの生涯と業績が放送される。
「Tenの会」同人。

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